昨日は久しぶりにみちのく潮風トレイル全線を歩き続けているハイカーさんがやってきてくれました。
やっぱスルーハイクしてる人は只もんじゃないなっていう面白さがあります。
スルーハイク31日目でみなと丸到着
来てくれたのは9月に青森県の八戸から福島県の相馬に向けて歩き出し、31日目でみなと丸へたどり着いてくれた三重の男性。
仲間内で登山を始めて色んな山を登っているうちに、ロングトレイルという文化があるということを知り歩き出したという、割と順当なパターンかなって感じでした。
でも、もう少し経緯を深掘って聞いてみると彼の前職は看護師で、学校の保健室の先生をしていたこともあったそうなんです。
ロングトレイルというものに興味を持ち始めた彼は、それをするにはある程度長い時間が必要だけど簡単には休みが取れないので、思い切って仕事を辞めて歩き出したということでした。
看護師という強みがあったのも決断できた要素だったのかなあと思ったんですが、今時点では看護職ではなく違うことがしたいなと考えているようです。
あー、やっぱいいなー、スルーハイクなんてしている人は覚悟のようなものを持って人生と向き合っているような感じがして好きだなーとか思っちゃいますね。
ちょっと話していて印象的というか、久々に自分の中で考えがグラっと覆されるかのような感覚を抱いたやりとりがあったので書いておきます。
僕はゲストハウスをオープンする前に難病を患い、それ以降なんか生に対しての執着がなくなってしまったような感覚なんですよね。
いや死ぬことが怖いのは変わらないんですけど、逆に気楽に生きられていいかなーとか自分では思っています。
一方、僕の両親はいい年齢になってきたのもあって、結構健康に気を使って長生きできるように頑張ってるみたいなんですーって何気ない会話をしていました。
そしたら「あー、ご両親は色々気を使ってでも長生きしようって思える人生なんですねー」っていうようなことを言われたんです。
もうホント何気ない会話のやりとりで、多分そんな深い意図はお互いなかったと思うんですよ。
でもそれに僕はハッとしてしまって、長生きすることに対してそういう捉え方も出来るかーとちょっと驚いちゃったんですよね。
死にたくないから長生きするんじゃなくて、生きていたいから長生きするってことですよね、きっと。
それってごく普通の考え方かーと思って、その普通の考え方を持ってなかったのかなーとか思って、身につまされたような感覚でした。
いやーでも、やっぱ看護の現場で生きている人は考え方も少し深みがあるのかなあと思わされたひとときでした。
で、実は3連泊の彼がもう1泊延泊してくれることになり、4連泊目はハイカーさんと喋ることが出来て楽しんでくれていたようで良かったです。
今思うとこんな先生、学校にいそうだな〜
いやあ久々のスルーハイカーと出会えて面白かったです。
きっとスルーハイクしてるかどうかというより、人生と向き合って動こうとしている人と喋るのが楽しいんだなあと感じました。
やっぱ自分でも旅したほうがそういう出会いは増えそうだなと思ってきた今日この頃です。